植物写真家、山下弘さん遺志 妻・哲子さん語る
2021年07月28日
世界自然遺産
野生蘭(らん)は、わたしにとって、かがやく宝石であり、自然の美しさを教えてくれる使者でもある―。
5月28日に肺炎で死去した植物写真家・山下弘さん(享年69)が著書にとどめた言葉。1976年から奄美大島と徳之島に生育する植物の調査と写真撮影を行い、世界自然遺産の登録を目指し、野生蘭を中心に絶滅が危惧される固有種や希少種の保護活動に尽力してきた。妻・哲子さん(67)は「奄美の自然が本当に好きで、毎日朝から晩まで山のことばかり。勧告に立ち会えて安堵(あんど)の息をついたのだと思うのですが、登録後もやりたいことは多かったはず。その意をくむと本人が一番悔しいのでしょうが、そればかりは…」と胸の内をこぼす。
哲子さんは1980年、大学卒業後に東京で就職するも「奄美の埋もれた植物を見つけ、守りたい」と島に戻ってきた弘さんと結婚。以来、足しげく山へ通う弘さんの姿を見続けてきた。虫が苦手な哲子さんが山へ一緒に入ることはあまりなかったが、植物が最も美しく写る瞬間を捉えるため、撮影で何時間も粘る弘さんを車中で待つことはしばしば。弘さんは生前、奄美の植物の魅力について「知らずに踏みつぶしてしまいそうなほどの小さな存在だが、目立たずとも、とても可憐(★かれん)だ」と話していたという。
その〝存在〟を守るため、骨身を惜しまなかったのが、盗掘防止のパトロールだ。弘さんは5年前に直腸がん、1年前に胃がんを患って手術しており、退院後1週間ほどで山に入る弘さんに哲子さんが安静を乞うと、「山に行った方が調子がいい」と返し、亡くなる1週間前までパトロールは続いた。「以前に確認したものが次に無かった時、一番肩を落としていました。植物はそこにあるから美しい―のだと」と哲子さん。
45年にわたり撮影した写真と奄美の希少野生動植物が並ぶギャラリー「わだつみ館」には、弘さんの遺志が詰まる。館の存在意義について哲子さんが問うた時、弘さんは「夢」と答えたそうだ。勧告時の取材でも「登録後も今ある環境を損なうことなく持続的に維持しなければならない。自身の役割は、島で独自に進化を遂げた多様性ある植物の魅力を写真を通して伝え続けること。それが島の『宝』を守ることにつながる」と話している。
哲子さんは、弘さんが心から愛(め)でた山々を望みながら、苦楽を共にした人生に目を細める。
「何十年も掛けて奄美の植物について調べ、どこに、どの植物が自生し、いつ花を咲かすかなど、主人はすべて把握していたんでしょうね。それが今の私の自慢であり、誇りです」